「小さく造る」という イノベーション

Story Vol.02

「小さく造る」という
イノベーション

2011年の開業後、瞬く間に和食の有名店や五つ星ホテルなどに採用されていった江戸開城。そのおいしさの秘密を、杜氏・寺澤氏に伺いました。
(取材・文:こやま淳子)

「儲けなくていいからやってくれないか」

――よろしくお願いいたします。私自身が江戸開城を大好きということもあって、どうしてあんなおいしいお酒が、いきなりこの歴史の浅い酒蔵で造ることができたのか、お聞きしたいと思っています。

寺澤喜美氏(以下、敬称略):もともと私は某大手酒造の一従業員で、2000年にお台場で醸造所をやることになり、京都のほうから赴任してきたんですよ。当時は、日本酒の売れ行きがアルコール飲料の10%以下まで下がってきて、それを国内外に向けてどうアピールするかという課題があったんです。それで10年間、エンジニアとして、そこでやっていました。「小さく造る」ことに特化して、どんなふうに国内外でパフォーマンスを出すかということで。レストラン・ショップ・醸造所という三部門構成で、最初はそれぞれの部門で責任者がいたんですが、3年目くらいから私がゼネラルマネージャーに就いて、全部を見ていました。
しかし、まだ当時は「小さく造る」ということが、日本ではそれほど重要視されていなかったんです。クラフト酒とかミニブリュワリーというのは世の中にはまだ少なくて、どちらかといえばビールのマイクロブリュワリーが、アメリカのほうでどんどん広がっていた頃でした。結局、お台場の醸造所は、10年後に幕を閉じるということになりました。

ただ、その経験は、52平米という狭い空間でお酒を造れるという自信になったんですよね。2003年に台場醸造所がスタートして、煙突も排気設備もない狭い空間で、まず「蒸す」という行為をクリアして、その次に、本来なら製麴品温が42度のものを、15度の室内の中で維持管理することができた。さらに、東京国税局の鑑評会で金賞とか入賞をとり続けたり、2008年には全国新酒鑑評会で優等賞をとれた。もちろん当時の会社のいろんなサポート体制もあったんですが、そういったことが私のなかで自信になったんですよ。

2006年に斉藤社長がお台場にいらして、実は自分の祖先の酒造を復建させたいという思いを伺ったのですが、当時、私は事業としてうまくいっていない部分があったので、「小さく造る」ことをあまり推奨していなかったの。やはり大きく造った、安くていいもののほうが、世の中に受け入れられていた時代なので。維持管理して継続することには自信があったんですが、たくさんの利益をあげることは正直いって約束できませんと伝えたら、斎藤社長に「それでもいい」と言われて。「儲けなくてもいいからやってくれないか」と。それなら、いままで培ったものを世の中のために出そうかと思ったんです。

ここがまず2016年に開始されて、ちょうど今2024年なので、その8年感という部分においては、事業形成ができたと私の中では思っています。

本当に価値のあるものを、必要なだけ造る

――小さく造ることによってのベネフィットはどこなんですか?

寺澤:たくさん造ろうとすると、部門を分けてそこでスペシャリストをつくっていくしかないでしょ。お料理と同じですが、1人か2人でやっていれば全部が見えるわけじゃないですか。これが、仮に工場になると、ご飯を炊く人、お料理を炒める人といってどんどん分かれていくわけで。

――味にも影響があるんですか?

寺澤:逆に、小さいほうが味はコントロールしやすいの。新しい酒をつくるのに、すごく早く結果が出てしまう。何故かといったら、仕込む前であればいくらでも変えられるから。
でも、大きな酒蔵は、年間計画を立ててその通りにしか造れないんですよ。だから、夏のあいだは休んで、その間に次の冬の設計や何から全部やらなくちゃいけない。

――大量生産だから融通が効かないということですね。

寺澤:そうです。だから、「安くていいもの」を明確にうたっているじゃないですか。それはあくまでも大量消費が大前提でつくられる仕組みだと。高度成長期、もしくは人口が増えていくなかであれば、確実にその事業化はいいことなんですが、いまみたいに1億2000万人が8000万〜7000万人に減ろうとしているなかでは、パイの取り合いにしかならないじゃない。だから、安くていいものを目指すよりも、本当に価値があるものを必要なだけ造ったほうが、今後はいいんじゃないのかというのが、ここの初めのスタートなんですよ。

だから、機動力があって、OEMであろうが、リキュールであろうが、味噌であろうが、醤油であろうが、甘酒であろうが、どんどん次を造っていける。いまは発泡酒に挑戦しています。それが、こういうクラフト蔵が年中やっている理由でもある。

――要は、味を見ながら、いろんなお米の状態とかを見ながら変えて行くことが出来るということですね?

寺澤:うん。どんどんできますからね。だから、結果が早いんですよ。結果が早いということは、それをフィードバックして、もう一回ブラッシュアップしていけるということなので、その辺が一番の利点です。

――タンクによって味を変えているとお聞きしたのですが、やはりそれもそういう造り方だから?

寺澤:はい、必然的にそうなるんですよ。

――でも、もともと大手にいらしたときから、そういう賞を取って実績や経験のある寺澤さんがいたからできたことで、もしもいま、杜氏が別の方に変わっちゃったら、全然できなくなってしまったりするんですか?

寺澤:まあ、どこの杜氏もそうですが、造りのすべてを任せていただいているということはありますから。酒造りというステージで、そこでどういう踊りをするかはそこの杜氏がするわけなので。

――東京の水道水を使うというのは、どの段階で決まったんですか?

寺澤:一番初めからです。お台場でやっていたときに、東京の水道水の酒造適性があるのは分かっていたんです。脱臭、殺菌の効果がある高度浄水処理をしているんです。そういうすべての部分がクリアできていたので、もうここでは水道水以外のものを使う気は毛頭なかった。

――それがベストだったと。

寺澤:うん。だって外から持ってきたって、経費がいっぱいかかるじゃないですか。

――江戸開城の味は、どういう風に決めているんですか?

寺澤:世の中で、どういうものが好まれているかを見ながらですね。あとはお客さんですね。

――お客さんの意見も聞きながら……?

寺澤:いや、全部聞いていたらふらついてしまうのでやらないですが、反応はしっかり見ます。お客さんが飲むときの反応を見て、私の中でどっちがいいかなというものに昇華させています。最近は、ちょっと甘めに持っていっていますが、次の瞬間また辛くするかもわかりません。なんにも変わっていないように見せているだけで、どんどん変わっていますよ。

――いまの流行ということですよね?

寺澤:はい。酒コンペティションの審査をやっているので、その年の傾向がわかりやすいんです。そのときに自分たち審査員で良し悪しも決めるから、「ああ、これくらいの酒を造ったほうがいいね」という基準もできあがります。
ただ、気を付けなきゃならないのは、それはあくまでもコンテストであり、お酒だけの単品の評価であって、例えば、お寿司に合うとか、お魚の煮付けに合うお酒は、また違うものになってきますから。

一流店に採用されてきた江戸開城

――私が江戸開城に最初に出会ったのは、「銀座しのはら」さんという、ミシュラン二つ星の和食屋さんでした。そこで飲んでおいしくて、「えっ!芝の酒?」と思って買いに来たのが5,6年前だったんです。ああいういいお店に採用されるって結構すごいなと思うのですが、いま思うと、たぶんまだ江戸開城の清酒が造られてすぐの頃だったんですよ。

寺澤:うん。まあ、幸いですけどね。東麻布の「さいとう」さんとか「佐たけ」さん、赤坂の「菊乃井」さんとか「うかい亭」さん、あとホテルでは、リッツ・カールトンさん、パークハイアットさん、J A N U東京さん、星野リゾートさん、パレスホテルさんなどにも採用していただいています。

――それはどういうところが評価されていると思いますか?

寺澤:それは酒販店さんの力もあると思いますよ。はせがわ酒店さんとか伊勢五本店さんとか、そういう地酒が得意とされているところにはお世話になっています。

――そもそもそういう酒販店さんに評価されるのがすごいなと思いますが。いいお酒を厳選されているお店なので。

寺澤:まあ、私は台場のときからご贔屓にしていただいていて。たぶん大手メーカーで、一番初めにはせがわ酒店さんにお世話になったのは私なんですよ。それは「いいか悪いかという部分が大事で、大きく造っているかではない」というフィロソフィーの部分に共鳴していただいて、いまだに酒コンペティションなどにも審査員で参加させていただいているんです。

――そういうつながりがあったわけですね。もちろんいいものだからというのが前提だと思いますが。

海外に出すよりも、国内で生産性につなげたい

寺澤:でも量が造れないことはジレンマでもあるんです。お客さんに「もっと欲しい」と言われた場合、なかなか満足していただけるところまで供給できないんですよ。だから、逆に、最近為替のこともあって、海外に売ろうという流れがあるのですが、輸出関係で「出せ、出せ」と言われても出せないのよ。

――海外に売るのが難しいと。

寺澤:そちらに出しちゃうと、例えばいまおっしゃった酒販店さんなどには欠品になっちゃうわけじゃないですか。だから、最初の話になりますが、量を小さく造るということにおいては、機動性があったり、特殊なものを造ったりするにはいいのですが、そういうデメリットもある。これはフランチャイズ化でもう一個どこかに造ったところで結局同じなので、私としては、いまの150石以上(一石=180リットル)造る気は毛頭ないんですよ。

――150石というのは、かなり少ないということですよね?

寺澤:少ないですね。

――でも、海外に出せないのはちょっと勿体無い気もしてしまいますが。

寺澤:うん。でもね、やはり東京ってマーケットは、大きいと思うんですよ。東京に来たときだけ買えたほうが、価値は薄れないですよね。要は551の豚まんが、なんで東京に売っていないのかというのと一緒じゃないですか。
そこはもうブランディングの話だと思うんですよね。どこでも手に入るイコール価値が広がっていくということにおいてはプラスですが、いつでも買えるということにおいては魅力は下がるわけですね。「わざわざ並んで、私があなたのために買って来ましたよ」と言ったら感謝されるけれど、スーパーに同じようなものがあって、ぱっと渡しても、ありがたみがないのと一緒なんですよ。

――なるほど。じゃあ、あまりこれから先も広げないほうがいいというお考えなんですね?

寺澤:そうです。その量を、お客さんを裏切ることなくその間口のところでやることが、いまの自分らの場を維持管理することだと思うんですよ。仮に家族がいたり、恋人がいたりしたら、遠くの知らない人は守れないです。だから一番近場から守っていく。それは、自分の安全にもなるわけやから。それが世の中の摂理だと思う。

――いい話ですね。いまは商品を減らして江戸開城に絞ったりされているんですよね?

寺澤:ちょっと減らして来ていますよね。なるべく商品が少ないほうが煩雑にならないというところがありますから。これからは、できるだけ絞り込んだ状態になっていくと思います。流れていく部分、流れづらい部分というのはある程度の幅を置いておかないと、お客さんに申し訳がないと思う。高価格帯のものは、正直いって象徴として置いているけれど、どんどん売れるわけではない。なるべく手頃感のある商品を売ることで、従業員のお給料をまず払って、高価格帯のものはブランディングのためにつくるくらいのつもりで構成していけば、ある意味、事業としては力強くなるかなと。そのためには、海外に売らずに日本のなかの循環としてやっていきたいと言うのはあります。だって、もうインバウンドの方がたくさん来て、それで「おいしかった」でいいじゃないですか。

――でも、いまの日本酒業界の流れとしては、海外用に高い酒を造ろうみたいになっている気がするのですが。

寺澤:でも、海外に売ったところで、まあご存じのようにウクライナのこととかがあったり、中東があったりして、不安定なの。その為替という部分にあまり影響されない、国内で循環させていくことが、農家の方など第一次産業からつながって生産性の関係をつくっていくことになるんですよ。

ちょっと別の話になりますが。いまの政治戦略で、半導体とかAIとかにたくさんのエンジニアをつくると言われていますが、本来やらなきゃいけないことは、漁業とか、林業とか、農業というものではないかと私は思うんです。

具体的にいうと、地方にでっかい半導体の工場をつくると、そこに時給の高い働く場所ができる。そしたら、みんなそっちへいっちゃうんですよ。農業をしても儲からへんし、漁業大変だし、じゃあ半導体のところは時給3000円だよって。そうすると、それまで地場を支えていた事業が、全部崩れてしまうんですよ。一時は、いかにも政府が街に産業を作ってくれたと思うけれど、長い目で見ると、実際は産業をつぶしてしまうんですよ。

そういう部分で、ああいう一つの特化したものに国の予算が出てしまうと、逆に国は弱くなる。それよりも、国内で好循環するようなものをつくっていかないと。だから、ドルに対しての価値基準で考えないで、日本の国内でうまくまわして、もちろんゼロは無理ですが、為替の影響力も小さい国にしてしまわないと。だって、どこまでいっても人口が減れば、確実に経済の力は減って行くわけですよ。でも、幸せという部分は減らない形にしてあげないと、孫とかひ孫が不幸になってしまうと思うんです。

――すごいです。こんなに政治の話になるとは。

寺澤:すいません。全然違う話になって。

――いえいえ。とてもいいお話でした。ありがとうございました。

東京港醸造 杜氏

東京港醸造 杜氏

寺澤喜美実(てらさわ・よしみ)
京都府生まれ。
京都にある大手酒造メーカーに勤務、
2000年に始まった
醸造設備を併設したレストラン事業に
参画したのをきっかけに
マイクロブリュワリーの可能性を確信。
2011年「東京港醸造」を立ち上げる。
酒造りの傍ら、
全国でマイクロブルワリー開設の
サポートをしている。